歴史の山
神奈川景勝50選
陣 馬 山 平成17年4月6日(水) 晴れ

<所在地>  神奈川県津久井郡藤野町. 案内図
<標 高>   837 メートル
<駐 車>  登山口有料駐車場.600円     
<コ−ス> 駐車場登山口−陣馬山−奈良子峠−明王峠−陣馬山−登山口駐車場
<出発時>  駐車場.午前8時0分。
<歩 程>  往復4時間位(休憩時間とも)。

陣馬山は永禄年間に武田信玄と北条氏が戦ったときに陣を張ったので陣馬山と呼んだといわれている人気の高い山である。天気予報は晴天の予報、この時期は花粉が最も多い時期なので経験の無い自分にとっては発生が心配だが、生来の山ッ子なので自分だけは花粉症には成らないと決めつけて出発である。カーナビが新しいので近道を案内してくれるので嬉しいが、陣馬街道の和田峠は予想以上に細くカーブの多い道で、普通車同志のすれ違いは場所によっては不可能な状態であるが何とか峠の茶屋の駐車場に着いた。駐車場は広く10数台はおけるスペースがあり、既に神奈川と千葉ナンバーの車が置いてあった。
登山口.男坂 午前8時0分
登山口は茶店の裏側から始まっていて、男坂はいきなりの急登な木製の階段に始まり、その左手には女道と云われる緩やかな捲き道があった。階段は下山に選ぶと辛いので女道を下山路に決め男坂を登り始めた。やっと階段をクリヤーして少し歩くと直ぐにまた階段である、何段登ったのだろう...股に乳酸のたまるのが解る..飴を口に頬張って息を整えながらしばらく行くと前方が明るく開けた感じになり、階段を登り切った所は広々としていて高原のような所であった。広場の直ぐ左にはトイレがあり、右手奥に雰囲気の良い看板があったのでパチリ。
陣馬山頂上.8時30分
さらに頂上を目差すと中央に白馬の像が天に向かって首を伸ばしていた。白馬像の横には頂上を示す写真のような石標とベンチがあり茶店もあった。ここからの眺めは良い筈たが特有の春霞で遠望は出来なかったが、北の生藤山が大きく、その右奥に大岳山が見えていた。左に目を転ずれば五丈岩の金峰山、大菩薩連峰、富士山、三つ峠、南は丹沢山塊の大室山、蛭ヶ岳、大山などが見え、石老山はその手前に見えていた。茶屋のご主人の話では冬の澄み切った日には房総半島、日光連山、アルプスも見えるといいながら証拠写真を見せてくれた..う−ん、これは凄い。また来ようと思った瞬間であった

奈良子峠.9時25分
陣馬山から南西方向に下り、奈良子峠を経た所の明王峠は、陣馬高原下コースと相模湖側からのコースと小仏や景信山方面からのコースなどが合流する所なので次ぎ々に陣馬山を目差す登山者とすれ違う。
明王峠.午前9.時45分
明王峠の茶店は閉店していた。店の横には不動明王が祀ってあった。店前のベンチに腰掛けると目の前に富士山が見えていた。日当たりの良い場所だが桜はまだ一輪も咲いていなかった。午後からは下原鍛冶発祥地と八王子城の見学を予定しているのでここで小休止して再び陣馬山へ引き返し、茶店で食事を摂り下山した
下原刀鍛冶発祥の地  午後1時
渦巻肌の表れる独特の鍛錬法で知られる下原鍛冶の発祥地を示す石碑は、八王子市恩片町の辺名バス停の横にあった。碑文によれば始祖の「周重」は室町時代の永正頃(1504-1520)に大石氏の招きでこの地に来て、後に恩方下原に移住して鍛刀したと云う。下原鍛冶は北条氏の庇護を受けて大いに栄え、康重、照重、広重、等の名工を排出し、北条氏が秀吉に破れた後の江戸時代には徳川家御用達の鍛冶として活躍しました。案内図

八王子城跡  午後1時30分
北条氏照が城主の八王子城跡は標高470bの城山の頂上に本丸がある。入口横に駐車場があり、入ると直ぐに説明版があった。
外堀の橋を渡り観音堂の右の道を登っていく、道の両端の梅と沢山の椿が満開で綺麗であった。金子丸跡を過ぎた頃から急に道が細くなるが展望が開けてきてまもなく神社と大きな石碑のある頂上に着く。八王子城は東西に1500b、南北に740b、周囲が3800平方メートルの規模の山城だったが、城主の氏照が精鋭を連れて小田原城に参戦していた留守に一日で落城、その際、城中の婦女子は御主殿の滝の上で次々と自刃しその身を投じたと云う。落城の報を聞いた氏照は号泣したと云うが、その氏照も秀吉の裁可の元に切腹した。私は往時を偲びつつ帰路の左手奥にある氏照の墓所も訪ねてきた。墓の説明版  案内図
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